最近競馬がつまらないという話を聞くが・・・。
みんなはどうだろう?
社台の運動会だからつまらないとか、昔みたいに特徴ある馬がいない(大逃げや強烈な追い込み馬)とか、騎手の個性がなくなり、レースが単調とか、「もう競馬に情熱をもてない」みたいなことを言っている奴が周りにいなだろうか。
確かに、年々自分の周りに競馬をする人が減ってきたりして「いつまでも競馬なんかやってんじゃねえ、そろそろ将来を考えて真面目になれよ」的な雰囲気になったりすることもあるかもしれない。
毎週末に競馬ばかりしていると、彼女も出来ずに「このまま週末になると競馬ばかりの生活でいいのだろうか?」とか考えてしまうかもしれない。
そんな思いを抱えている同志のために、「競馬なんかつまらない」という輩に一言物申すべく、立ち上がろうではないか!!
そんな輩には、僕からこの言葉を贈ろう
「しあわせは いつもじぶんのこころがきめる」
byみつお
「おもしろきことなき世を おもしろく」
byしんさく
つまりだ、競馬をつまらなくするのも、楽しくするのも、自分次第ってことかな?
どんなにつまらないと言っている奴も、馬券が当たればみんな楽しいのではないかと思う。
もう競馬なんかやってられないとか、JRAがどうだとか、騎手がどうだとか、御託を並べる「競馬がつまらない」というやつは、馬券が当たらないから、競馬が下手だからつまらないのだと・・・。
ん、まてまて、おかしいぞ!?
僕もそんなに馬券は当たってないぞ!では、なぜこんなにも競馬が楽しいのか?
この辺に、競馬が楽しくなる答えが隠れていそうだな。さっそく得意のanalysisをしてみよう!
【馬券がはずれても楽しい理由とは?】
1、はずれ続けて、精神的に痛めつけられることが快感だから(ドM)
なんか違う気がする。たしかに、10万円負けたときの、最後の1000円を賭けるときの気持ちは、「気持ち良く全部負けてしまえ!」と大穴に賭け、見事はずれ。ここまで負けると逆に気持ちいい。でも、そんなんじゃないはず。なぜなら、毎回そんなだと、いくら僕でも物理的にというか金銭的にというか、経済的にというか、夫婦的にというか、競馬の継続が困難になる。うーん。これは違うね。
2、純粋に馬が好きで、馬券は2の次だい!
馬がいれば、そのほかは何もいらないの、僕。ただひたすらに馬を愛し続けているために、レースも予想よりも自分の応援する馬が無事に走りきってくれる事のみをひたすら願っている。
そんな人はそもそも馬券を買わなければいいね。うん。
これも馬券がはずれてもいい理由とはちがう。
3、友人も一緒に不的中だから寂しくないの。
そう、一緒に観戦している友人だけが的中して、自分がはずれたときのみじめ感と屈辱感。いやですねー。
反面、友達も自分も一緒に不的中だった時の連帯感。
赤信号も皆で渡れば怖くない的な・・・。まるで何事もなかったように即座に「切り替えて次いってみよう。」と、モチベーションが逆にアップするし、負けた後の反省会でリベンジを誓いながら飲む酒も意外とうまい。
うん、確かにその通りだけど、一人で行ったときはどうする?
これも却下。
4、金が有り余っているから
僕ぼ競馬場に行く目的は、お金を減らすことです。課税資産が多すぎて困っているんです。寄付するのももったいないし。自分で選んだ馬券がはずれるのなら全く問題ない。
おまえらも札束で横っ面を叩いてやろうか。うひゃひゃはははははh*&!!!
絶対ない。そんな金があったら馬券買わないで、馬を買ってる。
うーん?いろいろ考えてみたけど、馬券がはずれても競馬が面白い理由がますますわからなくなってきた。僕はなぜ馬券がはずれても競馬をするのだろうか?
「競馬が最近つまらなくなってきた」という奴らに競馬の面白さを再認識させ、あまつさえも競馬の情熱を取り戻させようという魂胆だったのに・・・。
みなさん、僕はなぜ競馬をするのでしょう?だれか教えてくださーーーい!!
この記事を、競馬を愛してやまない気持ちがあるにもかかわらず、続けていくことに不安を感じている人たちに捧げます。