競馬は残酷かときかれたら、そうじゃないと言い切れない自分がいる。
先日、知人と飲んでいたら、人間の都合で馬を殺したり、産ませたりする競馬は残酷だと言われました。
いつもおバカな、フザケ記事が多い『うまたつ競馬』ですが、今日は至って大真面目に競走馬の福祉について考えてみたいと思います。
毎年8000頭前後の競走馬が生まれてくるわけですが、すべての競走馬がレースに出れるとは限りません。むしろ、競走馬として活躍し続け、その後も繁殖馬として仕事ができる馬のほうが圧倒的に少数です。
では、走れなくなり登録抹消された馬、引退した馬たちはどうなっているのかというと、乗馬や馬術競技馬など引退後も引き続き仕事がある馬は良いのですが、多くの馬は殺処分になります。
この事は非常に悲しい現実です。人間のエゴや都合で競走馬を繁殖させ、命を与え、人間の都合で命を奪う。
毎年何千もの子馬が生まれ、毎週登録抹消される馬がいて、そのうち、即処分を免れた一握りの馬たちが、生まれ故郷に帰って行き場を求め、しかしそこには、すでに前年、そのさらに前からいる馬たちが、ひしめき合っている、、、
残念ながら、今の競馬の世界は、こうした馬の大量生産、そして大量廃棄、が「当たり前」になっています。
一部の狭い観点からこの事を批判する人たちもおり、競馬そのものが馬に対する虐待と搾取だとのご意見もあります。
ここで生命倫理を論じるつもりはありませんが、牛や豚、犬、猫はどうでしょう?
人間の都合でペットになり人間の都合で捨てられた犬の場合、平成27年は約1万5千頭が殺処分(窒息死)させられています。
牛や豚は食用として食べるから良いのですか?大型の哺乳類は可哀そうで、爬虫類や魚類の命は重くないのですか?皮製品はどうですか?
人間はいつだって身勝手な生き物です。
競走馬に関わる全ての人は、自分の関わった馬が殺処分されることをなんとも思っていないはずがありません。競走馬も、はたまたペットの犬や猫も、そばにいる人は互いに心を通わせていることを知っています。
その現実を理解したうえで、だからこそ、ひたむきに走る競走馬の姿に心打たれ、感動するのだと思います。
なので、そういった競走馬の置かれる現実に対して、競走馬の福祉に対して私たちができる事を考えていく必要があるのではないでしょうか?
引退後の競走馬の生きる場所の一つである乗馬が盛んになるように、競馬好きの皆さんは、乗馬も体験してみるとか。(いまいち僕の足りない頭ではどうすればよいかすぐに浮かびません。)
イギリスの競馬ではレース中に馬をムチで打つのは10回と決められているそうです。
着順の大勢が決着している場合に必要以上に鞭を打たない事も競走馬にとっての環境改善と考えられていたりします。
競走馬の福祉を考えたときに、殺処分を出さないよううにすることが理想ですが、どのような仕組みが必要か想像もつきません。
でも、馬の魅力に魅せられた私たちが、競走馬の未来のためにそのことに思いを馳せ、意識を変えていくことが必要かもしれませんね。
人と馬がともに輝くことのできる舞台である競馬が今後も続いていくことを願っています。